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2009年6月アーカイブ

水の海長寺で、僧侶を対象とした唱題行の講習会に参加する。導師はもちろん海長寺のご住職。唱題行では草分け的な存在のお方だ。

30分の唱題行を2回。はじめはご住職、2回目は参加者の中から一人が導師を務める。

この日の気温は今年の最高気温を示していた。正座をして20人の坊さんが隣り合わせで衣を着てお題目を一心にお唱えする。自然と汗がふき出し、熱気のせいでお堂の中は猛烈に暑い。。

唱題行について、ここまで細かい説明を受けたのは初めての経験。教科書に無い、実際の体験にもとづく「感覚」の部分でのお話を頂戴する。ありがたいことである。

やってみて思った事は、これが全国にある8000ヶ寺のお寺で、まじめに開催されていたら、どれだけたくさんの人を救えているだろうか。

それも、檀家さんだけを対象とせず、できれば今までお寺にご縁のなかった人が入りやすいものにして欲しい。

たとえば精神不安定の方や、大きな悩みを抱えている方が、気分転換にと気軽に立ち寄れて、仏と向き合える場所。

こころを落ち着かせ、安心できる場所。いのちを見つめ、考えられる時間と場所になれたら、人はを間違いなくお寺を必要とし、軽薄な人間関係を作らない社会の実現に、貢献できるのではないか。

また、いのちの大切さを見つめ、凶悪な犯罪を起こそうとする、動機そのものを変えられるのではないか。

仏の教えはありがたくて尊いもの。この感動を伝える最も分りやすくて簡単な手段。それが唱題行だと思っている。

1つでも2つでもいい。この日本から凶悪な犯罪や自殺をみんなで止める為に今できること。お寺は間違いなく、唱題行を中心とした布教だと思う。

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年の花まつりに、奉納コンサートをしてくれた「海老原よしえ」さんのいのちについて考えるイベントに参加する。場所は秋葉原。土曜日ということもあってか、人でごった返している。一年前に連続通り魔事件があった現場では、もう事件の形跡は無い・・・。

4時半から始まるイベントに一時間遅れて到着。タシナ・ワンブリさんという、真言宗の外国人尼僧さんの「いのちについての法話」を聞く。最後の部分しか聞けなかったが、信仰体験にもとづく、彼女の持っているエネルギーに皆が引き寄せられる。

また、法話のあとの質問を真剣に一つ一つ受けこたえていたタシナさん。話の流れで自然と一年前の連続通り魔事件の話にもなる。その中で彼女は加藤容疑者のことを「かわいそうな子」と表現した。

誰にも相手にされず、誰からも必要とされず、誰からも愛されなかった。そんな社会が彼を作ったんだ。あの事件を起こさせてしまったんだよ。と。私もまったくの同感である。

どんなに軽薄な人間関係でも、人は生きていける。しかし、人と交わって、人と真剣に向き合って初めて人は自分に気づく。自分の力を知る。そうして、人間が少しづつできあがっていく。

交わらなくてもやっていけてしまう軽薄な社会に、将来性など無い。

続いて童話の朗読、そしてよしえさんの魂のこもったライブ。コンサートに来て、こんなにすがすがしい気分になったのは初めてだ。よしえさんともがっつりと握手をかわし、またの再開を約束した。

各地でこのようなイベントが開催されて、時代の流れに逆らい「これでいいのか?」と考える時間。議論する時間が、自分も含め、皆まだまだ足りないと思う。

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がようやく畑らしくなってきた。午前中草取りをしていたら、トマトに小さいながらも実がなっているのを発見!まだ青くて小さいけれど、トマトはトマト。夏にかけて収穫が楽しみだ。

午後は浜松に、友人の結婚式に参加する。ここ一か月で結婚式がなんと3つ目・・・。幸せのど真ん中に立ち会わせていただけるのは大変ありがたい話なのだが、財布がどんどん薄くなるのはやはり悲しい。。

しかし、結婚式を盛大にやるというのは、人生においてひとつ大切なことだと思う。また、こうして盛大にやる人は、自分の人生を大切にできる人だと思う。そういう人は人との付き合いも大切にする。

しかし、盛大にする理由が見栄や欲であってはいけない。あくまで、来た人に喜んでもらう。自分たちのこれからを、来てくださったみなさんに応援してもらいたいから盛大にやる。こうした精神が根底にないと、ただの自慢話と同じレベルになってしまう。

どんなに便利で豊かな時代になっても、心の中だけは、いつもきれいでいたい。

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ばらく更新をさぼってしまった。。3泊4日の布教師養成講座という、お坊さんがお通夜や葬儀の際にお話しする「法話」の講習会に参加する。

場所は埼玉の坂戸市。18・19才を熊谷市というところで過ごしたので懐かしい。始まって早速、自己紹介がある。しかし、ただの自己紹介と思ったら大間違い。

5分間で、出身・参加理由そして課題が与えられ「シュークリームを5つもらいました。女の子になって・男の子になって・老人になって・・・それぞれ喜びを表現してください。と、10項目ある。。

それぞれリアクションを変えながら、一生懸命喜ぶ表現を変えるのだが、途中からどれも一緒になってしまう。感情を初対面のたくさんの人の前で、思いっきり表に出すというのは本当に難しい。

自己紹介という名のまさに「訓練」だ。

しかし、先生にしてみれば、参加者がだいたいどんな人間なのか。これでほぼ、見当がつく。

そして、いよいよ我々が読む法華経をひも解きながら、その中からお釈迦様が残し、伝えたかった教えを丁寧に探していく。

「教え」というのは、たった一人で法華経を読んでいても絶対といっていいほど気がつかない。先生という先人がいて、一句一句解説を頂き、初めてお教の中に「教え」に気づくことが出来る。見つけた時はまさに感動の瞬間。

こんなところにこんなありがたい教えがあったんだ!!と、心から感動する。教えとは、そういう尊くてありがたいもの。

お教は奥が深い。その深い教えをひも解いて、分かりやすくして一人でも多くの人に伝え、穏やかな気持ちにさせる。生活を見直してもらう。心を入れ替えてキレイになってもらう。これが僧侶の務めだ。

そして、それを社会を上手に回していく潤滑油として使ってもらい、社会を自然と良い方向に向けていく。これが布教だ。

葬儀・法事をするだけが坊さんと思われているかもしれないが、決してそうではない。坊主たるもの布教師であるべし。

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柚野にあるホールアース自然学校さん主催の「里山つなぎ隊」に参加する。5月はウチで「プチ修行体験」をして頂いた。今回は富士市大渕にあるお茶農家でのお茶仕事のお手伝い。

お茶摘みするのかな~。と思っていたらそうではなく、肥料を撒いたり、雑草を取ったりとあれこれ。

小さいながらも、多少は畑をやっているので、要領はどことなく一緒なのかと思っていたら、これが大間違い。。

何せこちらは専業農場。広さが半端ない。ひとつ20キロの肥料が2畝でなくなってしまう。それを50~60畝をこなす・・・。

10時から始めてお昼の焼きそばを御馳走になり、午後もひたすらお茶畑に肥料を撒いていく。しかしこうした地道な作業のおかげで、我々は普段お茶を頂いているんだなぁと、生まれて初めてお茶の工程をのぞかせていただいた。

普段我々寺院でお茶をお出しするときは、必ずお茶っ葉からいれる。しかし、ペットボトルが普及してからは、お茶といえばペットボトルで頂くことが多いと思う。

その結果、こうした工程でできた農家のお茶っ葉が前のように売れなくなってしまったそうだ。当然そうなると、代々お茶農家で生活している人たちは、お茶だけでは生活が厳しくなくなってしまう。

人間は、便利になると古くからのものが必要がなくなる。自然と便利で安くて新しいものが好まれ、それが主流になる。それが良いか悪いかは別にして、それがこの国のごく自然な流れ。そう簡単には、この流れには逆らえない。

お寺も一緒だと思う。便利で安い方がいいんだと思われてしまった結果が「直葬」だ。お坊さんはいらない。お寺もいらない。お経もいらない。死んだらそのまま海にでも骨を撒いてほしいという。

これはもう、坊さんが覚悟を決めて、流れに逆らうしかない。

お茶農家とお寺社会。業種は違えど抱えてる問題は一緒なんだと、お茶畑で肥料を撒きながら、ふと思った。

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京は大田区に、宗務院といって、日蓮宗の本部がある。そちらでビハーラ講習会があったので参加する。

テーマは「自殺」について。最近では、遺族の悲嘆を緩和させるために、遺族の前では自殺という言葉を使わずに、「自死」という言葉に変わってきているようだ。さらに先生も言っていたが、自殺をしてしまった本人に罪はないし、責める要素は何もない。悪いのはそうさせてしまった社会・環境・人間にある。そこを正していかなければ何も変わらない。確かにその通りだ。

しかしどうしても我々凡人は、自殺を「悪いもの」「可哀そうなもの」「救われ難いもの」とみてしまう。しかしそうではなく、いかに自殺当事者に罪がなく、どうしたら救われていただろうか、救われるだろうかということを真剣に議論すべきである。それが、年間3万人を超す自殺大国日本を変えていく、唯一の方法ではないか。

教科書には、自殺志願者と出会ったら、「真剣に話を聴く」「傾聴」が大切である。とあるが、これがどれほどのエネルギーと時間を費やすのか、忙しい日本人にはまず「できない」といっていいと思う。

時間にも、心にも、いつもゆとりをもちながら、真剣に生きる。みんながみんな、こんな生き方ができればいいが、現実はそう甘くない。

では坊さんである私に今、一体何ができるのか・・・考えれば考えるほど、深みにはまってしまう私であった・・・。

月から、月に1度の唱題行をはじめてから、今日が第2回目。勢いだけでやった前回とは違い、多少なりとも真価が問われる時。それなりの緊張が走る。

役員の方にもやっている現場を見てもらおうと、18時半から役員会を開き、その流れで唱題行を行うというスケジュール。

妙泉寺の年間行事というは、日蓮上人の御命日に合わせて行う「お会式」と、お釈迦様のご生誕をお祝いする「花まつり」の年にたった2回だけ。形式だけが先行して、お寺と檀家さんとはまだまだ距離もあるし、それにはお寺側の魅力不足という課題があるんだと思う。

こうした葬式・法事という、形式・付き合いから一切離れた、純粋に「おしえ」だけを伝える場所に、果たして魅力を感じて足を運んでもらえるのだろうか。

しかし、こんな時代だからこそ、仏教が頑張らなければいけないと思う。仏教には「より所」としての「おしえ」また、人を感動させ、動かせるだけのチカラが十分にあると思っている。それを生かすも死なすも、すべては坊主次第。。

この時代に既成仏教に何ができるのか、ひたすら模索し続けて生きるのか。それとも、檀家制度にあぐらをかいて、葬式仏教とヤユされても、耳に入れずに今まで通りの方法で生きるのか。

少なからず、期待をしてくださる少数意見に耳を傾け、先ずは檀家さんの期待にしっかりと応えられるお寺づくり。そこから初めてみようと思う。

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