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2009年9月アーカイブ

生に二つ選択枠があるとしたら、どちらを選ぶだろうか。

長男として家業を継ぐべきか。自分のやりたい道をとことん目指すべきか。

今から8年前、自分はこの選択を迫られた。迷いに迷ったあげく出した答えは「やりたい道」ではなく「家業」だった。その答えに一番背中を押したのが、家族の期待だった。自分が継いでくれることを何よりも望み、それを首を長くして一番の楽しみに待ってくれている。

もしあの時、家族の期待を裏切って、自分のやりたい道に進んでいたとしたら...。今の自分からは想像し難いが、おそらく今頃、悩み、苦しんでいたのではないかと思う。

人は、人の期待に応えたいという本能を備えている。その期待に、自分は応えた形になった。出した答えに、今は後悔していない。気がつくと、8年という時間が自分の葛藤を穏やかにしてくれていた。

もしも、今人生の道に迷っている人が目の前にいたら、自分は胸を張ってこう言いたい。

「待ってくれている人の期待に応えてみてはどうですか」

そのあとは、後ろを振り返らず、自分の手で切り開くしかない。

曜日というのに、珍しく午前中から来談者と法事に追われる。お寺にやってくる来談者というのは、それなりに悩みを抱えていて、心の平安を望んでやってくる。

先ずはとにかく話を聴き入れ、緊張と共に溜め込んでいるものをゆっくりとほどいていく。間違っても、この場面に坊主の説教などを入れてはいけない。共通して言えることは、そんなことを、ここでどの来談者も、まったく望んでいないということだ。

誰にも言えない話を、誰にも受け入れてもらえない話を、お坊さんだから信頼して話してくれる。そのすがるような想いを、とにかくこちらは受け入れ、聴き入れる。

よく、お坊さんは説教をしたがる。「それは仏教では〇〇と言ってね...」と。しかし、どうしようもなく聴いて欲しい人に、ようやくたどり着いたはけ口場所で、「それは〇〇と言ってね...」と、あたかも本人の苦労を理解しているかのような口調でこちらが言ったところで、「やっぱりここも一緒か」となってしまうだろう。

不景気・リストラ・リストカット・不登校・自殺...第三者が思っているほど、すべてが簡単に解決できるものではない。

本人の立場に立って、どれだけ事の重みを受け止め、理解してあげられるか。「悩みを聴く」こちらの立場は、絶対にこれ以下ではいけない。

前中に自宅での一件の法事をつとめる。読経・お題目を通し、日ごろ家族・親戚を暖かく見守ってくれている先祖・亡き霊位に感謝の気持ちを伝え、魂を穏やかにしていただく。

施主をはじめ、集まった家族・親戚にとっては数年に一度の大行事。それなりの緊張感がある。しかし、我々僧侶にはそれがほぼ毎週やってくる日常的な光景となる。

こうした日常的な光景の中に、どれだけ探究心と好奇心を持って望めるか。それが今の自分の最も重要な要素を占めている。逆に、そこにもし探究心・好奇心が無くなったら...。そう考えるとそれが一番怖い。

「今週良い法要にしよう」「来週もっと良い法要にしよう」単純だが、これが難しい。難しいが故にそこに「やりがい」が生まれる。

のお彼岸が今日終わった。

お盆と同様に檀家さん一軒一軒を廻ってお経に伺う。その際に、世間話をしながら、お彼岸の由来についての話になった

「お彼岸ってなんでやるんですか?」「・・・っとそれはですね・・・ええと」

突然の質問というのに弱い私。

何て言えば分かりやすいかなぁ。と少し考えながら「仏教に触れる為の強化週間ですかねぇ」

「そうですかぁ・・・」どうやら伝わらなかったようだ。

普段忙しい日々に追われていると、お仏壇の前で先祖に感謝してお線香をあげたり、家族の安全を祈願して手を合わせることを忘れがちになってしまう。

それを、この「彼岸」=「悟りの境地」の期間に、普段できない仏教への関心を高めて積極的にお墓参りをしたり、先祖への感謝の気持ちを高めたりしながら、悟りの境地に近づこうと精進するのがこの「お彼岸」なんですね。

と、こう言ってあげれば良かったのかなぁ。と、車の中で考えながら、伝える難しさを実感し、檀家廻りとともに課題をつきつけられ、今年もお彼岸が終わった。

月5日、本日唱題行を行った。「日常から少し離れたお寺という場所で、心穏やかに自分を見つめ、命を見つめ、時間を止めて、自分を振り返ってみてください。

また、それぞれが抱えているストレス、悩み事、心配事が、回を重ねるごとに少しずつ良くなっていく。良い方向に向けていこうというのが、この唱題行の目的です。」という自分の想いをはっきりと述べ、始める。

また、「一遍いっぺん、お題目をじっくりと自分の身体に染み込ませていくイメージ。自分に貯金をしていく感じで大事に唱えてみてください。」と付け加える。

こちらは、その参加者それぞれの想いを背中に感じ、導師を務めさせていただく。

今回参加者は11名。徐々にだが、1つの行事として形になってきてきた。次はしっかりと「おしえ」を伝え、参加者の想いにしっかりと応えられるものとして定着させていきたいと思う。

来月は10月3日、夜7時からです。どうぞ、奮ってご参加ください。

の5時に起床。思ったとおり頭が回らない。とにかく顔をあらって目を覚ます。

2日目のプログラム。最初は朝のお勤め。全員で一緒にお経を唱えていただく。続けて本堂の掃除に続けて朝食。食事班に頼んで昨日の残ったご飯をお粥にしてもらいできるだけ残飯は省く。

8時から写経。施餓鬼旗つくりと続き、できたその旗に、今度は経文を乗せていく。それぞれペースは違えどもあっという間にお昼を迎え、最後の食事は、そうめんに採れたて野菜の天ぷら。

午後は午前中に作った施餓鬼旗を使って、施餓鬼法要を行う。最後に感想発表をしていただいて、寺子屋の全プログラムは終了。長いようで終わってみればあっという間の1泊2日だった。

無宗教だった人が、宗教に触れる。菩提寺はあるけれど供養など全部親に任せきりで考えたことも無かった。それが、こうした機会に触れてみて、お寺というもの、お盆の行事「仏教」に触れる。なんか仏教っていいな。なんか供養って大事だな。感想文にもあったが、ここではそれだけで十分なんです。

これがきっかけになって、それぞれの場所で、世の中のためにそれぞれにできることをしていく。

この寺子屋が、これからもそのためのきっかけになれたら幸いです。

今回参加された方も、都合で参加できなかった方も、次回は冬の寒い時期に行います。どうぞ奮ってご参加くださいませ。

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斉清掃が終わって、すぐに寺子屋の準備にかかる。この日はお盆の入り。お客さんも通常の倍以上にと多い。また、今年は祖母の新盆と重なっていたのでなお更。。不安と緊張に押されそうになりながらも、残された時間内で準備をしていく。こういうときの時間の流れというのは本当に早い。

お昼をはさんで13時30分。ほぼ参加者がお寺に到着。東京から5名。甲府から3名。富士宮から2名。芝川から2名。さぁ寺子屋が、いよいよ始まる。

近場の芝川2名を除いてあとの皆さんは妙泉寺ははじめてというお方。お会いするのも当然初めて。最初に自己紹介を入れた主旨説明をし、全体のタイムスケジュール。食事の班の確認など、一通りの説明をしてから、プログラムに入る。

先ずは竹でお箸作り。「上手に作らないとご飯が食べれませんよ~」と脅かしながら、皆が初めての体験。形はどうであれ、とりあえず食べるためのお箸が完成する。

続けて迎え火のために、竹を井げた状に積んでいく。傾斜のため苦戦をしいられたが、なんとか完成。

続けて本堂にて夕勤。ここで初めて皆で正座をし、お経を読む。

夕食は定番のカレーに採れたて野菜のサラダ。担当の班が早速活躍してくれた。しかし13人前という一般家庭では絶対に作らない量に苦戦をし、ご飯とカレーがだいぶ残ってしまったが上手に次の食事にまわすことにする。

食事が終わると外に出て、それぞれの想いを胸に、先ほど積んでおいた竹で、迎え火を焚きながら暗くなっていく景色の中で、火の明かりが幻想的に周りを照らしてくれる。

「お盆」「迎え火」「お寺」「読経」「太鼓」日本人の心に、染み付いている懐かしい何かを、きっとそれぞれが感じてもらえたと思う。

その余韻に浸りながらDVD上映会。最後は茶話会。気づいたら深夜1時を回っていた。みんなで本堂にて雑魚寝。こうして1日目が無事に終了。

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泉寺の新しい試みとして、お盆の入りの13日に一斉清掃をおこなった。お盆休みの真っ最中に、しかも朝8時という時間に、どれだけご先祖様の為に、菩提寺の為に檀家さんがが集まってくれるだろうか。言いだしっぺの自分の力が試されると同時に、役員以外誰も集まらなければ、自分自身、身を斬られる。そういった後がない覚悟で望んだ。

先ずは役員さんから、一人二人と集まり、定刻の8時には、なんと15名も集まってくれていた。心からありがたい・あたたかい気持ちでいっぱいになる。

あいさつを済ませ「まずご自分の家のお墓を掃除してお墓参りをしてください。終わった方から、駐車場の草取りと、お地蔵さん磨きをお願いします」とだけ伝えた。

一斉にお墓参りが始まり、終わった方から次々と駐車場に集まり、竹ぼうきで駐車場を掃く人。側溝の葉っぱを掻き出す人。草をむしる人。お地蔵さんを一体一体、裸足になって丁寧に磨く人。ゴミを拾う人。全員がそれぞれ一生懸命に汗を流していた。

その姿に、自分が見た十数年の短いお寺の歴史の中で、お寺が一番生き生きと輝いて見えた。もしかしたら過去数百年の妙泉寺の歴史の中で、一番輝いていた瞬間だったのかもしれない。

自分一人で同じ掃除をやろうとしたら丸1日かかってしまう。それがみんなの力を借りたら数十分で見違えるほどきれいになった。みんなの力というのは本当に凄い。

最終的にはさらに人数は増えていて、24名にまでなっていた。参加してくださったみなさん、心から感謝しております。本当にありがとうございました。

また、今だから言えるが、決して檀家さんに強制はしなかった。したくなかったという方が合っているかもしれない。来れない人、来たくない人を後ろ指で指すような、そんなマイナスの雰囲気だけは絶対につくりたくない。

「13日、もし都合がよろしければ、一斉清掃しますんでお願いします。」これ以上のことは一切言っていない。

心の中から、自然と湧き上がる、ご先祖様の為に、お寺の為に何かしてあげたい。この「布施」の精神を大切に、小さいけれど情のある、そんな暖かいお寺づくりに、これからも精一杯取り組んでんでいきたい。

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