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2009年10月アーカイブ

玉県坂戸に、布教師養成講座、別名「石川道場」と言う名の研修会に参加。今回で4回目。

6月に続けての参加と言うこともあり、来ているメンバーと話も弾む。

どんな会話かというと「いやいや、また来ちゃったね」「何で来ちゃったんでしょうかね」とこんな感じ...

というのも、睡眠時間は1日ほぼ4時間。あとはひたすら法話作成・発表・講義の時間となる。人間、誰しも楽をして生きたい。でもここで楽をすれば、すぐに結果として出てしまう。だからみんな、眠い目をこすって必死になってやっている。

実は自分は、この時間が好き。普段お寺にいると、どうしてもマイペースになってしまい、楽な道へと流れてしまう。それを、できる限りここで修正して、持って帰ってくる。そしてまた、それを普段の日常に持ち帰り、生きていく。と、毎回こんな感じ。

その中で、今回一番心に響いた言葉「仏道は長遠なり」

これは、仏道に完成はない。だから、常に努力して前に進んでいかなければいけない。という意味。「俺はスゴイ。完璧だ。」と思った瞬間、人は堕落していく。常に未完成であるがゆえに、人は努力を怠らない。前に進むことができるのです。

毎回こんな感じで講義を聴き、それを「おしえ」として、妙泉寺から元気に発信していく。11月1日のお会式で、ここで学んだおしえについて、を詳しく話そうと思っているので、是非、お時間のある方は、足を運んでみてください。

日時:11月1日(日)11時より、法要・法話。於:妙泉寺にて

このところ、毎日サツマイモの収穫に追われる。時間を見つけては少しずつ掘っているのだが、大きいもの、形の悪いもの、小さいものとさまざま。スーパーに並んでいるような形の良いものだけを残そうと思うと、3分の1くらいの量になってしまう。農家で食べていく人達は本当に大変なんだなぁと、身をもって実感する。

収穫したイモは、自分が食べる分だけ残し、後はお世話になった人たちに配る。北海道から九州まで、全国にいる大切にしている人に、ここ富士の麓で育った野菜を食べてもらう。その時の笑顔を想像して一つ一つ大事に袋に詰めていく。

野菜作りには、「こころ」を育てる力があると思っている。野菜と向き合っているとき、すごく心が優しくなっている自分に気づくときがある。こころを穏やかにしてくれ、しかも収穫の喜びがあり、それを分けてあげることで、その幸せも分けてあげられる。

「食」という漢字は、「人を良くする」と書く。お経を読むことも、「人を良くする」為のもの。形は違えど、同じ共通点に、深い縁を感じずにはいられない。

い方の葬儀と、高齢の方の葬儀を続けてお勤めさせていただく。どちらも同じ葬儀を行い、内容に違いはまったく無いのだが、場の張りつめている「空気」が明らかに違う。

若くして亡くなられるということは、それだけ周囲の期待を背負っていた。その期待に応えられなかった悔しさ・悲しみが、どこにもぶつけられない怒りとなって葬議場を埋め尽くす。我々は、その気持ちをしっかりと汲んで、最後まで葬儀を勤めさせていただく。

人はいつか必ず自分の死と直面する。永遠の命など、この世に存在しない。だからこそ、今をどうやって生きるのか。今をどうやって大切にして生きるのかを、考えるのだと思う。

人生には期限があるから、きっとその期限までを「生きる」と言うのだろう。

期限の終わりから人生を逆算して考えると、人生に無駄な時間などないことに気づく。

死と直面した家族や友人にはこれ以上つらいことは無いと思う。これからどうやって生きていこうかという時に、周りがしてあげられることは、心からの慰めと、真心こめた供養。

あとは、時間をかけて、そっと温かく見守ってあげてほしい。

ればできるなんて嘘っぱちだ。やってみなけりゃ分かんねぇ。20歳の頃に良く聴いていたバンド、「GOING STADY」の歌詞に出てきた言葉。当時の自分にはこの言葉の意味が良く理解できていなかった。努力すれば叶う。叶わないのは自分の力不足なんだと思って生きていた時代。

しかしこのところ、人・モノの相性に代表されるように、人やモノと出遭ってみて、触れてみて、実際に使ってみなければ、その先どうなるかなんて分からない。

それが上手くいくか行かないは努力を越えた部分。ぴったり合えば上手くいくし、そうでなければ無理やりこじ開けるものでもない。

そこは自分に正直に、違うと思えば次を探せばいいのである。まさにそれが「縁」だと思う。

努力をすることは大事。でも自分の感覚を曲げてまで、無理やり向き合う必要はないということを教えてくれた気がした。

坊さんというひとつの「生き方」をしてみて、無理をしている気がしない自分はきっと、坊さんに「縁」があったんだと思う。

る用件で檀家のお宅に伺う。途中話がそれて、戦争を後世に伝える資料を見せていただく。

しかし、今まで見てきたこの手の資料というのは、時代の変化もあってか、どうしても分かりにくく、内容が難しい。ゆえに負の先入観を持って、恐る恐る本を開く...

しかし、本を開いた瞬間驚かされた。そこには今まで見たこともないわかり易さと、すべてにふり仮名がつけられ、見る人を選ばず誰もが、戦争の怖さ・虚しさ・怒り...その土地で起こった事実を、できるだけありのままに理解できるようにと、とにかく分かり易く伝えようとつくられた資料だった。

「絶対に戦争だけは繰り返してはいけない。それに気づいた我々が、わかり易く、次世代の子供たちに伝えたい」ストレートにその想いを感じた。

かつての残虐な戦争を経験した人間が少なくなり、今のような平和な期間が長くなればなるほど、争うことに対する恐怖心というものが薄れていく。それを考慮してか、それを手に取った誰もが分かるものをと、後世の子供たちに絶対に繰り返させたくないという一心で、地域の皆が一致団結して作った力作だろう。

後世のために、正しいことをまじめに分かりやすく伝える難しさ。それと真っ向向き合った先人の思いを、一冊の本からずっしりと感じた。

ちょうの木に実った銀杏が、先日の台風で一気に落ちた。空いた時間をみつけては、それを少しずつ拾っている。

全国で記録的な被害をもたらした今回の台風だが、ありがたいことに芝川にはそれほどの被害を残さずに去っていってくれた。

栗が終わったと思ったら銀杏が落ち、そして富士山には初雪が降り、その裾野ではこれから本格的な紅葉が始まる。

移り行く季節を五感で感じながら、日々過ごすのは悪くない。

あたり前の事をあたり前に感じられるすばらしさ。そしてそれをあたり前と思わず、「ありがたい」と思える謙虚な心。

まだまだ修行が足りないと実感しながら、銀杏を拾う。

岡の教育会館というところで、漢詩の会に参加する。漢詩とは中国から伝わった漢字だけで作る詩句。

今の自分と素直に向き合い、感じたこと、思ったことを最大限に28文字で表現する。漢詩を作ることで「自分の気持ちが確かになる」そうだ。

そこに、嘘・偽り・背伸び...良く見せようとする気持ちは一切いらない。求められるのは「等身大の素直な気持ち」これ以上でもこれ以下でもいけない。

あとはこの思いに、ただ漢字をあてていく。

我々坊さんはお経を読んでいるので、漢字の羅列には慣れている。しかし、それを一から作ろうとすると、たった28文字だというのに、もの凄い大変だということに気づかされる。

今から2500年前、6万9千384文字の漢字だけでつくられた「法華経」この作られた過程を考えると、例えようもないほど、あらためて頭が下がる。

前中にサツマイモを収穫していたら、ぽつぽつと雨が降り出す。昨日の快晴と一変してどうやらこの天気が週末まで続くそうだ。

失敗を楽しむ力。生活を楽しむ力。どんな状況でも楽しめる力を備えている人は一流だとつくづく思う。失敗したからそこで終わりではないし、なぜ失敗したのか。どうしたらもっと上手くなるだろうかと考えることで、その失敗はその人の「糧」になる。

一流はそれを楽しみながらやってしまうのだという。その影には一体何があるんだろう。

三年前にもサツマイモを植えたが、ほとんどがモグラに食べられてしまった。「失敗した~」としばらくヘコみ、失敗を取り戻そうと今回土に改良を加え、雑草抜きもまめに行い、それなりに注意を注いできた。

しかしやってみて分かった事は、生活の中で畑と向き合い、更には同じモチベーションを維持していく難しさ。やはりそこには「楽しみ」が必要不可欠なんだと思う。

続ける力・モチベーションの維持。そして「楽しむ力」。

この関係のバランスが、きっとどの分野においても良い結果につながる方法なのだと、泥のついたふっくらとしたサツマイモ片手に、ふと気づいた。

日10月の唱題行を行った。5月から初めてもう半年。振り返ると早いものである。

導師を務める側も、少しずつ慣れてきた。はじめる前に、必ずする趣旨説明も、教科書から引っ張り出してきたような言葉をただ並べていた初めのころと違い、実際やっていく中で感じたこと・教えられたことを踏まえて話すのとでは、聞き手の態度が明らかに異なってくる。

大切なのは「やってみて実際どう感じたのか」「何に感動したのか」「やっていくことでどう変化していくのか」皆が知りたいのは、その部分である。

同じ事を続けることで、もっとこうした方がいいな。もっとこうなったらいいのにな。次々と改善の余地が出てくる。毎月毎月少しずつ改善されて、半年経って今のかたち。一年後...三年後...次はどうなっていくのだろう...。

ある子供が幼い頃に食べたケーキに感動して、そのままケーキ屋さんになって、世界一のお菓子職人にまでなった人が言っていた。

「僕が味わったあの時の感動を、食べてくれるみんなにもしてもらいたい。それが原動力なんです。」

仏教に触れ、感動した体験をもとに、自分も模索しながら、来てくださる皆さんに精一杯お寺で感動を与えていきたい。

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